《アラン・ホワイトが語る》: 4


『ロンリー・ハート』の大成功について

あれは僕らにとっては、数あるレパートリーの中の一曲に過ぎないんだよ。しかし随分変わったサウンドをしている。「ビッグ・バンド・サウンド」とでもいうかな。いろいろな部分をよく聴いてもらえればわかるよ。

レコーディングしているときトレヴァー・ホーンが、僕のシンバルやタムを片付けてしまったんだ。だから僕はキックとスネアとハイハットしか叩いてない。そのうちハイハットも片されてしまったんだ。だから結局レコードで僕が叩いているのはキックとスネアだけなんだ。
そのあとトレヴァーが、あとからシンバルやハイハットの音を重ねていったんだ。

『ビッグ・ジェネレーター』について

『ビッグ・ジェネレーター』は『90125』ほどは成功しなかったけど、それでも素晴らしいアルバムだったよ。かなり「ロック」なアルバムだったね。あのアルバムはイタリアで3ヶ月かけて作り込み、そしてロンドンで仕上げたんだ。

『90125』を超えるアルバムを作らねば、というプレッシャーは?

プレッシャーは確かにあったよ。そしてそのつもりで頑張っていたんだ。しかし『90125』みたいなアルバムの成功は、あとからどんどん大きくなっていくんだ。1200万枚か1500万枚だよ!

『ABWH』には”裏切られた”という感覚があったのでは?

僕やクリスが常に考えているのは「イエスをどのように前進させるか」ということだけなんだ。
その時代時代のメンバーは、「自分がイエスでやるべきことは終わった」と感じるだけのことなんだ。
確かにABWHとは、折り合いをつけなければならなかったが、それでも僕らの使命は、イエスを前進させることのみなんだ。

『ユニオン』について

あれは、こちら側(クリス&アラン)ではなくあちら側の問題だね。あちら側は大量のセッションミュージシャンで制作していたからね。ツアーも大成功だったが、違和感はずっと拭えなかった。ほとんどはジョン側の問題だったね。

『ユニオン・ツアー』でブルーフォードと共演したことについて

ビルとリハーサルを重ねているなかで、「なぁビル、”燃える朝焼け”なんかは、君のスタイルがたっぷり入っている曲なんだから、君が叩けば?」とたずねた。
そしたらビルが「いや、君が君のスタイルで叩けばいいんだよ」ってね。そして彼はパーカッションなどの装飾音に徹していたんだ。

2008年にジョンがふたたびイエスを離れたことについて

ジョンはもともと「さまよう吟遊詩人」みたいなものなので。彼のアタマの中には、いろんなプロジェクトやアイディアがぎっしり詰まってるんだよ。クリスと僕は、やるべきことをまっすぐ進めるのが好きなんでね。”よそ見”はしないんだ。それだけのことさ。

2008年以降の、新たなボーカルを探す旅について

とにかくアンダーソンの穴を埋めることができるボーカルを探すのに必死だったんだ。そしてベノワにたどり着いたんだが、体調不良になってしまい、また後任を探すことになった。その繰り返しをしていただけさ。そしてデヴィソンにいきついた、というわけさ。

〜〜つづく〜〜


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