《アラン・ホワイトが語る》: 2
イエスとの出会いについて
イエスの音楽は前から知っていた。サードアルバムのころかな。ロンドンのどこかでライブを見たよ。クリスのあのロングブーツのころのね!
「ものすごく上手いバンドだな」と思って見ていたよ。
エディ・オフォードとはその前にどこかで知り合っていて、ロンドンのパブとかでよく飲んでいた。
ある日、そのパブにジョンとクリスがやってきて、「イエスに参加してくれないか?」と言ってきたんだ。
そのころ僕はジョー・コッカーのバンドにいたんだけど。
「いいよ。リハーサルはいつやるんだい?」「実は・・リハーサルするヒマがないんだ。来週月曜からツアーが始まるんだ。急いで覚えてくれ」って。金曜の夜に言われたんだよ!!
なのでその週末を費やして、必死で覚えたよ。そして次の週から、イエスの長い長いツアーがテキサスから始まったんだ。結局リハーサルなんか、全然なかったよ(笑)
ビル・ブルーフォードの後任になることのプレッシャーは?
ビルはすばらしいドラマーだよ。僕はその少し前から、変拍子の練習をしていたし。ちょうどイエス自身も、変拍子を取り入れようとしていた。ビルはそこにジャズの要素を強調しようとしていた一方、僕はロックの要素を強調しようとしていただけさ。
僕はただ、ビルがすでに進めていたことを自分なりに解釈して前に進めただけさ。
「海洋地形学の物語」について
あれは僕らにとっても大冒険なアルバムだった。ジョンがアイディアを持ち込んできて、僕とクリスでリズムトラックを積み上げていったんだ。
そうするうちに、2枚組で4曲という、巨大なアルバムになってしまった。それでも「神の啓示」は、5分縮めるためにいくつかのパートをカットしなければならなかった。なにしろ最初は27分もあったからね!
パンク・ロック全盛の時代について
あれは、特にイエスみたいなバンドに向かって戦争を仕掛けてきたようなものだったね(笑)
しかしイエスというバンドは、そういう逆の勢力ともうまくやっていこうとする生き物なんだ。
たしかに難しい時代ではあったけど、イエスはイエスのスタイルを崩さなかった。実際僕らは、ほとんど気にしていなかったね。
1979年にジョンとリックが離れたころの話
ジョンとリックはイライラしていたんだろうね。特にリックはソロとして完成していたしね。
「月曜にスタジオを押さえたから、イエスとして集まりたいものは集まれ!」と号令をかけたら、結局集まったのはクリスとスティーブと僕だけだったんだ(笑)
〜〜つづく〜〜