《ジェフ・ダウンズが語る》: 3
エイジアのアイディアというと?
イエスが活動していなかったこともあり、「イエスに代わる、イエスのようななにか」を会社は模索していたんだ。
カール・パーマー、ジョン・ウェットン、それからリック・ウエイクマンかエディ・ジョブソンといったメンツで。
エイジアのオリジナルのアイディアでは、イエスのような5人編成を考えていたんだ。
トレヴァー・ラビンの名前も上がったんだけど。
しかし”ツインギター”なんて、スティーブ・ハウは絶対納得しないだろうしね。
ボーカル候補を探しているあいだ、ジョン・ウェットンが仮ウタで吹き込んでいたんだけど、デキがよくてね。
「なんだ、ジョンでいいじゃないか!4人編成でいこう!」ってなったんだよ。
そして「ヒート・オブ・ザ・モーメント」がメガヒットになったわけですが
元々は「オンリー・タイム・ウィル・テル」をシングルでいこうとしてたんだけど、「ん~、これもいいんだけど、もちょっとなんかないか?」と会社から言われてね。
それでジョンと僕で、大急ぎで「ヒート・オブ・ザ・モーメント」を作ったんだ。実際、あの曲は数時間で作ったね。
エイジアで「台風の目」になるのって、どんな感じでしたか?
大成功すればするほど、問題も大きく発生するね。一両の列車にいろんな人々が乗っているようなものだよ。経営層の思惑、レーベルの思惑・・・それぞれがそれぞれの方向に引っ張ろうとするからね。
ジョン、スティーブ、カール、ジェフ。それぞれ一流のミュージシャンですから、エゴのぶつかりあいとはなかったですか?
ぶつかることはなかったね。互いにリスペクトしていたし。
でもジョンとスティーブは、”お互いの目を見て話す”というのはなかったね。仲が悪いからではなく、単に人柄の違いなんだ。
カールと僕はいつも「中間」だったから。
「アストラ」、そしてそのあとのソロアルバム”The Light Program”について
アストラの頃には僕らはもう会社に対する信頼を失っていた。
スティーブは早々に降りていたし、ジョンもエイジアの方向性がイヤになっていたんだ。
僕もちょうど「全部シンセサイザーで作る」というアイディアがふくらんでいたときだったし。
「全部シンセサイザーで」というと?どれぐらいのシンセサイザーを持っていたんですか?
それはもう、ものすごい数だったよ。40種類ぐらいはあったかな。
いろんなプロジェクトに参加していたなかで、「全部自分で」というアイディアを進めたかったんだ。
ソロ活動は、充実していましたか?
面白かったけど、満足していたかといえば、実はそうでもないな。
違うアーティストとコラボするからこそ最高のものができる、というのも真実だね。
つ・づ・く・・・