ソーシャルでない生き方
自分自身を観察するに、つくづく私は「ソーシャル」とはもっとも縁遠い性格だな、と思います。
自分がどんな場所にいるのが自分にとっていちばん快適か、というのをよく夢想するのですが、その結果、
宇宙船で、暗黒の宇宙をずっと一人で旅していたい。
というのが、必ず行きつく答えです。
- 宇宙を旅する宇宙船。乗船しているのは自分一人ぼっち。
- 窓から見えるのはずっと暗黒の宇宙で。ときおり恒星や惑星を眺めるだけ。
- たま〜に惑星に着陸して、そこにいるエイリアンと、ちょっとコンタクトぐらいはする。
- でもってまた孤独の旅を続ける。
というのが自分の理想の生き方です。ビジュアル的には、2001年宇宙の旅のディスカバリー号に一人で乗っている」というものです。(実際、この映画を観ていていつも一番共感を感じるのが、この場面です)
もうひとつの「自分にとっての理想的な場所」というのは、《無人島》です。
「無人島にひとつだけ持っていっていいなら、あなたは何を持っていきますか?」という、よくある性格診断クエスチョンがありますが、僕の回答は、まちがいなく、
自分の部屋のスタジオ機材をまるごと持っていきたい。でもって、そのスタジオにこもりたい。
です。
「だったら今その部屋にいるのと変わらんやないか〜い!」というツッコミが聞こえてきますが(笑い)
まさにそうなんです。僕は今も、自分の部屋にこもっているときがいちばん幸せなんですもん。
だからといって、《引きこもり》なわけではありません。
《引きこもり》というのは「社会との断絶、拒否、逃避」ということです。
私は社会とは断絶も逃避もしたいわけではないです。
自分ひとりでいる時間が長ければ長いほど自分にとって快適なのだ。それだけのことですね。
で、「いくらなんでもそんなに孤独ではよくないだろう。人と仲良くなることも覚えておくのも必要なんじゃないか?」と考え、あえて自分をソーシャルにしようとしたこともあります。
それがちょうど2005年ごろ。ミクシィなどのソーシャルネットワークが誕生したころです。
このミクシィのいろいろなコミュニティに参加し、「オフ会」とか「パーティ」とかに積極的に出かけていったこともあります。
しかし・・・そうした「場」に自分を置いたときの違和感といったら・・
そもそも自分はお酒が飲めない体質なので、「お酒を飲んでいい気分になって饒舌になる」ということができません。
さらに騒がしいパーティで大声を出して喋る、というのが自分にはムリだし、初対面の人(しかも大勢)と喋るほどの話題もネタも持ってないし・・
そういうわけで、こうした「オフ会」とか「パーティ」に参加したのはいいが、最初の10分ほどで逃げ出してしまったものです。
このとき感じたのは、まさに「敗北感」でした。
「自分はつくづく人づきあいができない男だ。ダメ人間なんだ」と、心底落ち込んだものでした。。
まぁしかし逆に、「孤独な宇宙船」や「無人島にポツンと建ったマイスタジオ」が自分にとって最高のプレイスだということがわかったので、それは収穫かな、と思っています。
この2019年現在の世界は、「ソーシャルがすべて」「ソーシャルであることが”勝ち組”の生き方」みたいな風潮があると思います。実際そうだと思います。
その点では私はあきらかに”負け組”でしょう。
しかし、アンソーシャルな生き方をあえて突き詰めながら生きていくのが自分の運命なら、それを全うしていくしかないさ、と考えるようにしています。