《マンハッタン・キス》
今日鑑賞するのは、1992年作の《マンハッタン・キス》です。
この曲は秋元康氏が監督した同名の映画の主題歌です。(こういう名前の映画があったこと、今となっては誰も覚えていないと思いますが)
Don’t disturb
閉ざされたドアの中だけが
私になれる場所
ここで あなたが見せる優しさに
偽りはないけど
どうして こんなに寂しい
夜明けの足音 近づいてくると
何もかも まるでなかったように シャツを着る
愛しい背中 眺めるの
私より本当はもっと孤独な誰かが
あなたの帰り 待ってるわ
すれ違う 心の奥見透かしながら
ひとり残された 部屋の窓の外
手を振る気もなくて
霞む摩天楼の彼方 天使が涙で覗き込む
どうして 愛してるだけじゃ満たされなくなる
愛されるまでは
長すぎる一日をもてあまし 彷徨えば
悲しいくらい 自由なの
街の灯が 夕闇に点り始める頃に
あなたもきっと 感じてる
ほろ苦い昨夜のキスのその余韻を
どうして あなたじゃなきゃ駄目
声かける人はたくさんいるのに
できるなら 知り合う前の私に戻って
置いてきた夢 探したい
いつの日か 遠い思い出だと笑いあえる
そんなときが来るのかしら
明日さえ 手探りで生きるふたりにも
Till I hear you say you love me
Don’t disturb
この《マンハッタン・キス》のような甘くも苦い恋、どんな女性も多かれ少なかれ経験したことがあるはず。
そしてその”恋”のことを、今まで誰にも話したことがないはずです。
そしてこれからもずっと。
Don’t disturb
……
霞む摩天楼の彼方 天使が涙で覗き込む
これだけで、舞台はホテルだということがわかります。都心のタワーのホテルでしょうね。パークハイアットのような。
「ホテル」とは言わないところが良いですね。あからさまに「ホテル」と描くと生々しすぎます。
何もかも まるでなかったように シャツを着る
愛しい背中 眺めるの
男性のほうが先にサッサと部屋を出て行ってしまうんですね。
女性にとってこれほど辛くて悲しいことがあるでしょうか。
私より本当はもっと孤独な誰かが
あなたの帰り 待ってるわ
すれ違う 心の奥見透かしながら
ここはもう説明不要ですね。奥様はとっくに察していることを、この彼女も察しています。
霞む摩天楼の彼方 天使が涙で覗き込む
「天使が涙で覗き込む」というのは、この高層タワーのホテルの窓に雨粒が打ちつけている、ということですね。
この彼女自身は泣いてはいません。涙をこらえています。その彼女の代わりに天使が泣いてくれていて。それが雨になっているのですね。
私はこの場面で、あの有名なミケランジェロの天使の絵を思い出します。
長すぎる一日をもてあまし 彷徨えば
悲しいくらい 自由なの
これは逆説的に心情を語っている部分です。
「ひとりで生きているのは自由だけど、あなたと一緒ではないことが悲しい」と。
「あなたがいない私の日々は、ただ悲しいだけ」
と。
街の灯が 夕闇に点り始める頃に
あなたもきっと 感じてる
ほろ苦い昨夜のキスのその余韻を
これは、男性の立場で聞くとものすごくグサッときます。
「街の灯が夕闇に点り始める頃」はつまり、奥様がいるお家に戻る時間のことですね。
家に帰ってから、奥様の前で、昨夜の彼女のキスのことを思い出す..思い出さずにはいられない…というのは、「あとから効いてくる毒」のようです。
キスというのは、甘ければ甘いほど苦いものです。
できるなら 知り合う前の私に戻って
置いてきた夢 探したい
「できるなら…戻って…したい」ということは、逆に「時計を巻き戻すことはできない」ということです。
許されない恋はいつも、後戻りができない。忘れることもできない。
いつの日か 遠い思い出だと笑いあえる
そんなときが来るのかしら
明日さえ 手探りで生きるふたりにも
許されない恋はいつも、後戻りができない。忘れることもできない。
それゆえ、この恋を経験したあなたは、一生この思い出を 誰にも話すことなく抱いて生きていかなければならない。重い重い罪のようです。
さきほど天使が私の代わりに泣いてくれていましたが、きっと神様はお許しにならないのでしょう。宗教でいうところの”原罪”のようなものを感じます。
明日さえ 手探りで生きるふたりにも
私はこの部分で、”アダムとイブが嘆きながら楽園を追われる”、あの有名な《楽園追放》の絵を思い出します。
Till I hear you say you love me
Don’t disturb
私はこの部分が最高に好きですね。
「私を愛してると言ってくれるまで、私を邪魔しないで」という、彼女の心の声ですが、言いかえると
「あなたの”愛してる”の言葉をもらえるまで、私はこの孤独な部屋に閉じ込められたまま」
ということなのでしょう。
そして、エンディングとしてすばらしいのが、”Don’t disturb”で始まったストーリーが”Don’t disturb”で締めくくられるところです。
この物語は、とあるホテルの部屋のドアにかかった”Don’t disturb”の札の映像から始まりました。
このドアをそっと開けると、男性と女性がいます。
男性はシャツを着て静かに部屋を出て行こうとするところです。
ベッドに残された女性は、夜明けの街を眺めています。雨が降っています。
ひとりになった彼女は、ひとことも言葉を発しません。
こうした情景を私たちは静かに見つめています。
そして私たちは、彼女の心の奥へ奥へと入っていきます。
そして・・
最後に、彼女をそのままそっとしておいて、静かにあとずさりし、この部屋のドアをそっと閉じます。
そして”Don’t disturb”の札の映像で終わるのです。
“Don’t disturb”は、彼女の心の声だったのです。